2021年04月14日

照明弾の数は

 タイタニック号研究サイト「Encyclopedia Titanica」の記事「Titanic's Rockets(2002.03.15)」。以下「記事」と称する。
記事の要旨は、
・打ち上げられた照明弾の数は、従来説の「8発」より多い。

・照明弾打ち上げ装置は2台(ブリッジ左右両舷のウィングに1ヵ所ずつ)設置された。照明弾は少なくとも3箱あった。

・0:05〜0:50頃は、左舷で四等航海士ボックスホールが1人で打ち上げを行った。
 以降1:45まで、左舷で操舵手ロウとブライトの2名が、右舷でボックスホールがそれぞれ打ち上げを行った。

…といったもの。

 以上の要旨は、妥当な結論と思われるところのみを抜粋したものだ。というのも、記事本文はかなり冗長。問題提起したが解決は示されなかったり、矛盾点が残ったままだったり、都合の良い仮定を前提として話が進んだりしている。

 では結局何発が打ち上げられたか。記事では「14発」と結論付けているが、14発の具体的な根拠は示されていない。単に「8発よりは多い」とする証言を集めただけに過ぎないし、「8発よりは多い」根拠も状況による推測だけだ。「8発とはデタラメであり少なすぎる」という論旨の文面なのに、新たな答えが「14発」では大きく変わらないだろうに。

 このように論の構成が十分とは思えないので、資料性があると思われる部分を再構成して以下に掲載する。全文の忠実な和訳は別に載せる

 (参考)照明弾の意味と色についての記事



目次。
1.主な登場人物。
2.時系列。
3.打ち上げが始まった時間帯(の、従来説と新説)。
4.打ち上げ装置の設置台数(の、従来説と新説)。
5.打ち上げ発数(の、従来説と新説)。



1.
主な登場人物。
ボックスホール(Joseph Groves Boxhall。四等航海士。2号ボートで生還)。
ブライト(Arthur John Bright。操舵手。D号ボートで生還)。
ロウ(George Thomas Rowe。操舵手。C号ボートで生還)。
シモンズ(George Symons。見張員。1号ボートで生還)。

2.
4/15の時系列。主に従来説による。下線部のみが、記事にある、従来説と異なる記述。

0:05
 救命ボート準備の指示。
 四等航海士ボックスホール、左舷ウィングで照明弾打ち上げ開始
 ボックスホール、船首左舷側に正体不明の船の光を発見。
 見張員シモンズ、最初の照明弾を目撃
0:45
 右舷7号救命ボート発進。
 船尾ブリッジ勤務の操舵手ロウおよびブライト、海上の救命ボートを目撃し初めて事故を知る。
0:50頃
 ロウとブライト、ボックスホールから照明弾をブリッジに持ってくるよう指示され、打ち上げ装置1台と照明弾2箱を運ぶ。
1:05
 左舷でロウとブライトの2名が、右舷でボックスホールが、それぞれ打ち上げ開始。ロウも船首左舷側に正体不明の船の光を発見。
1:45
 打ち上げを終了。打ち上げた発数は、ボックスホールの証言によれば自らが打ち上げた数のみで6〜12発。ブライトの証言によれば1:05〜1:45に左舷のみで6発。
1:46
 ボックスホール(左舷2号ボート)本船を離れる。
2:00
 ロウ(右舷C号ボート)本船を離れる。
2:05
 ブライト(左舷D号ボート)本船を離れる。

3.
打ち上げが始まった時間帯。
従来説:0:45〜0:55頃。
記事:0:05頃。


従来説では、照明弾の打ち上げが始まったのは0:45〜0:55頃とされる。例えば、ダニエル・アレン・バトラー『不沈』によれば「午前一時にあと数分、五号艇が水面に降ろされる最中」(『不沈』大地舜訳、実業之日本社、1998、p.173)。ロバート・D.バラード『タイタニック発見』(文藝春秋、1988)では、
・右舷7号ボート発進
・最初の照明弾打ち上げ
・ボックスホールが船首左舷側に正体不明の船の光を発見
がいずれも0:45頃のできごととされている。

一方で記事では、打ち上げは0:05頃から始まったとし、2名による証言が挙がっている。

0:05頃から打ち上げを始めたとするボックスホールの証言:
(米査問会)
フレッチャー上院議員:近くに正体不明の船の光が見えたそうですが、それは氷山に衝突した頃の時間帯ですか?
ボックスホール:それよりやや後です。
フレッチャー上院議員:衝突後どれくらい後?
ボックスホール:分かりません。救命ボートを下ろす指示が出てすぐでした。

(米査問会)
ボックスホール:私は、正体不明の船の光を見る前から打ち上げを行っていました。その後で、船は近づいてきました。

(英査問会)
ボックスホール:光が見えましたが、何の光かは分かりませんでした。眼鏡を使い、2つのマスト灯だと分かりましたが、その船は私達からは遠すぎました。
査問委員:どれくらい離れていたか分かりましたか?
ボックスホール:分かりません。ですが、照明弾を打ち上げていることと、光が見えたことは船長へ報告しました。船長からは打ち上げを続けるよう言われました。私はその光を見続けつつ打ち上げも続けました。


0:05頃から打ち上げを目撃したとする見張員シモンズの証言:
(英査問会)
シモンズ:私がボート甲板に着いてすぐ、とても頻繁に照明弾が打ち上げられモールス灯も使われていました。0時30分頃、船首左舷側5〜6マイルに光が見えました。鱈(たら)漁船の光でしょう。

→ シモンズがボート甲板に着いたのは0時過ぎと思われる。来る途中で、0時を示す見張り台の鐘の音(8回鳴らす)を聞いていたからだ。ロウとブライトがブリッジに着いたのは0:50頃だから、目撃が事実とすれば、0:50頃まで1人で打ち上げを行っていた裏付けにはなり得るようだ。しかし、救命ボート準備の指示(0:05)と、海面に降ろす指示(0:40頃?)は別であろう。両者を混同して0:05頃(から打ち上げを始めた)という根拠を作っているようにも思える。


4.
打ち上げ装置の設置台数。
従来説:右舷ウィングに1ヵ所。
記事:当初右舷ウィングに1ヵ所、0:50頃から左右両舷に計2ヵ所。


従来説ではブリッジ右舷ウィングに1ヵ所。記事では、打ち上げ装置は2台あった根拠を挙げ、それならば左右両舷の2ヵ所に設置されたと推測している。

打ち上げ装置は2台あったとする証言:
(英査問会)
ボックスホール:照明弾打ち上げ中に、救命ボートが降ろされたことは知っていました。私がブリッジに入ると電話が鳴ったのです。電話の相手が言うには、救命ボートが降ろされているが何事かという問合せだったので、まだ事故を知らなかったのかとむしろ私が驚きました。

(米査問会)
ロウ:私は、救命ボートが降りていることを知っているかとブリッジへ電話を掛けました。三等航海士かと尋ねられたので、“いいえ操舵手です”と答えたところ、照明弾の打ち上げ装置をブリッジへ持ってくるよう指示されました。

(米査問会)
ブライト:私は12時にロウと交代するため船尾ブリッジへ行きました。何をすべきか分からずブリッジへ電話を掛けたところ、照明弾打ち上げ装置を持ってくるよう指示を受けたのです。それで私達は1箱ずつの照明弾をブリッジへ運びました。

(米査問会)
ロウ:私は照明弾をブリッジへ持っていき、四等航海士へ渡して、打ち上げを手伝いました。

(米査問会)
ブライト:(誰が照明弾を打ち上げたのか尋ねられ)ロウと私と、四等航海士のボックスホール氏」です。

→ ただしこの話を「打ち上げ装置は2台あった根拠」とするには、「ボックスホールが0:05頃から打ち上げを始めていたこと」が事実である必要がある。
記事によれば、最後のブライトの証言「ロウと私と、四等航海士のボックスホール氏(Rowe and I, and Mr. Boxhall, the fourth officer.)」は、「打ち上げが“ロウとブライト”と“ボックスホール”」の二手に分かれていた根拠として紹介されていたが、これは無理に言葉尻を捕えただけに思える。

打ち上げ装置は2台あったとする目撃証言:
(英査問会)
査問委員:救命ボートが出発する前に、ブリッジから照明弾が打ち上げられていると気づきましたか?
見張員シモンズ:はい。照明弾は複数同時に、毎分打ち上げられました。その間、船首左舷側5〜10マイル辺りに船の光が見えたので、両舷のモールス灯も使っていました。

→ 「複数同時に毎分」とは他の証言とあまり整合せず、また数値もあいまいだ。更に、2台あったとしても、それが左右両舷にあったとするのは想像に過ぎない。

ほかにも打ち上げ装置は2台あったとする証言は挙げられているものの、根拠に乏しかった。
 − 二等乗客担当チーフスチュワード、ジョン・ハーディ(John Hardy。D号ボートで生還)
(米査問会)
ハーディ:船長は照明弾打ち上げのため操舵手を呼びました。

→ つまり「ボックスホール以外へも照明弾打ち上げの指示が出たのだから、打ち上げ装置が複数あった根拠」としている。しかし本当にボックスホールによる打ち上げとは別口での指示なのか。ボックスホールを補佐せよとの指示と取れないか。
 − 見張員レジナルド・リー(Henry Reginald Lee。13号ボートで生還)
(英査問会)
査問委員:打ち上げられた照明弾を見ましたか?
リー:はい。
査問委員:本船から離れる前に?
リー:離れる前と離れた後です。

→ 「ボックスホールが2号ボートで本船を離れた後も照明弾打ち上げが行われていた根拠」としている(13号ボート発進が1:40、2号ボート発進が1:46)。かといって打ち上げ装置が複数あったことの証拠にはならない。ボックスホールが本船を離れた後にブライトかロウが同じ打ち上げ装置から打ち上げたとも考えられる。

なお記事中には「右舷から打ち上げられた」証言は2点紹介されているものの、「左舷から打ち上げられた」証言はない。
(英査問会)
ライトラー:8発の照明弾が、5〜6分の間隔で打ち上げられました(ボックスホールの証言と共通する)。
査問委員:1発ずつ?
ライトラー:はい。私が知る限り、全て右舷側から打ち上げられました。

(英査問会)
ボックスホール:右舷の緊急用ボート[訳註:1号ボート]が既に降ろされた後で、折畳み式ボートが準備されているところに、私は居合わせました。緊急用ボートのすぐ近くに照明弾打ち上げ装置があったのです。私は照明弾を打ち上げるたびに、人々を遠ざけなければなりませんでした。最後の1〜2発を打ち上げていた時、甲板上にある折畳み式ボートが準備されていました。


5.
打ち上げ発数。
従来説:8発。
記事:「14発か」「8発よりは多い」。


打ち上げられた照明弾の数にまつわる証言
 − 英国査問会委員長マージー卿(John Bigham, 1st Viscount Mersey)
1912年7月末の英査問会最終報告で支持した結論:
・四等航海士ボックスホールは8発ほどのロケットを発射した。
・カリフォルニアン号からも、12時30分から1時40分までに8発のロケットが観測された。即ち、タイタニック号から打ち上げたのは8発程度で、カリフォルニアン号から見えたのも8発。

 − 三等航海士ピットマン
(米査問会)
ピットマン:1ダースほどの照明弾が打ち上げられました。
スミス上院議員:どんな様子でしたか?
ピットマン:打ち上げ装置(rail)から打ち上げられます。打ち上がると軌道を描き、空中で爆発し、星(stars)を空へばらまきます。
スミス:1ダースほど見たのですね。
ピットマン:1ダース、あるいはもっと多くでした。

 − 二等航海士ライトラー
(英査問会)
ライトラー:8発の照明弾が、5〜6分の間隔で打ち上げられました(ボックスホールの証言と共通する)。
査問委員:1発ずつ?
ライトラー:はい。私が知る限り、全て右舷側から発射されました。

 − 操舵手ブライト
(米査問会)
スミス上院議員?:“あなたは”何発を打ち上げましたか?
ブライト:6発だと思います。

 − 見張員シモンズ
(英査問会)
査問委員:救命ボートが出発する前に、ブリッジから照明弾が発射されていると気づきましたか?
シモンズ:はい。照明弾は複数同時に、毎分打ち上げられました。

(英査問会)
シモンズ:私がボート甲板に着いてすぐ、とても頻繁に(at very frequent intervals)照明弾が打ち上げられモールス灯も使われていました。

 − 一等乗客担当スチュワード、アルフレッド・クロフォード(Alfred George Crawford。8号ボートで生還)
(英査問会)
査問委員:あなたが乗ったボートが海面へ降ろされてから(8号が降ろされたのは1:00頃)、打ち上げられた照明弾を見ましたか?
クロフォード:はい。モールス灯が使われているのも見えました(シモンズの証言とも合致)。
査問委員:照明弾を何発見ましたか?
クロフォード:1ダースほどか、多分それ以上が打ち上げられたのを見ました。
査問委員:1ダースが?
クロフォード:はい。打ち上げ続けられていました。
査問委員:はっきりと見えましたか?
クロフォード:はい。

(米査問会)
スミス上院議員:照明弾を見ましたか?
クロフォード:見ました。大量の(plenty)照明弾が打ち上げられていました。

→ 従来説では「8発」。記事では「14発」と結論付けているが、14発の具体的な根拠は示されていない。単に「8発よりは多い」とする証言を集めただけに過ぎないし、「8発よりは多い」根拠も状況による推測だけだ。記事では「plenty(大量の)」を「打ち上げられた照明弾の数は8発よりずっと多数である根拠」としている。「大量」だから8より多いとするのは短絡的だろうに。
そして、カリフォルニアン号から目撃された照明弾は8発。これについて記事での反論は「遠くて見落としがあった」という一言のみ。

ところで、1発の照明弾は空中で破裂し、12個の星(照明剤)がばらばらに落ちてくる。根拠を示せない私見でしかないが、「大量の」という証言はこの星(照明剤)の数に言及されているとも思えた。


以上、照明弾打ち上げに関して従来説とは異なる証言が並んだ点は興味深かった。だが単なる誤認識や言葉尻の問題に過ぎないようで、従来説を覆すほどの根拠とは思えない。
posted by Lagado at 19:58| Comment(0) | タ号連接 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(参考記事)記事「Titanic's Rockets」の忠実な和訳文

 参考記事。
 タイタニック号研究サイト「Encyclopedia Titanica」の記事「Titanic's Rockets(2002.03.15)」の、忠実な和訳文。話の展開が強引と思える。本編はこちら。

----(以下和訳文)----
問。タイタニック号沈没の際、照明弾は何発打ち上げられたか。
答。8発。

これは全長や総排水量などと並んで既知の情報とされるが、事実ではない。英国査問会での証言のうち「8発」という単語だけがその後何十年にも渡って独り歩きしたものだ。

マージー卿は1912年7月末に発表した最終報告で次の説を支持した。

 − 四等航海士ボックスホールは8発ほどのロケットを発射した。その時見えた明かりはカリフォルニアン号に間違いない。というのも、カリフォルニアン号からも、12時30分から1時40分までに8発のロケットが観測された。即ち、タイタニック号から打ち上げたのは8発程度で、カリフォルニアン号から見えたのも8発。

この記述以降、8発という数字が根付いてしまった。カリフォルニアン号から見えた照明弾が8発だったとしても、タイタニック号から実際に打ち上げられたのが僅か8発だったのか。なぜそんなに少ないのか。

いくつかの事実がある。タイタニック号には48発以上の照明弾が載まれており、更にデッキフレアの量やその他の信号もある。それでいて、1000万ドルの船舶が沈没しているのになぜ8発しか使わないのか?

マージー卿以外に、打ち上げられた照明弾が8発であったとする証言は無いことが分かった。ほかの証言によれば照明弾は何発打ち上げられたか。

 − 三等航海士ピットマン「1ダース、あるいはもっと多くでした」

 − 二等航海士ライトラー「およそ8発でしょう(右舷のみの数)[訳註:ライトラー航海士は、全8発の照明弾がどれも右舷側から発射されたという趣旨で証言している。後述あり]」

 − 操舵手アーサー・ジョン・ブライト「6発だと思います(これはブライトと同じく操舵手ジョージ・トーマス・ロウの2人が、ボックスホールの後に打ち上げた照明弾のみの数)[訳註:後述あり]」

 − 四等航海士ボックスホール「よく分かりませんが、半ダースから1ダースくらいでしょう」

 − スチュワードのアルフレッド・クロフォード「1ダースほどか、多分それ以上が打ち上げられたのを見ました」

1ダースより多い数が打ち上げられたとする証言もある。

マージー卿が言う「8発程度」と異なり、四等航海士ボックスホールは、12発打ち上げることができたと言っている。また、打ち上げを行った人物はボックスホール1人ではない。更に、打ち上げ位置は、ブリッジの左右両端に計2ヵ所あった。

カリフォルニアン号の見習士官ジェイムズ・ギブソンの証言によれば、1時から2時の間に、照明弾を3発しか見なかったとしている。

これでは、マージー卿の「タイタニック号から発射された数とカリフォルニアン号から目撃された数が8発で一致した」という話に根拠がない。カリフォルニアン号からは全ての照明弾が見えたわけではないことをも示す。カリフォルニアン号の近くで停船して応答しなかったという船が打ち上げた照明弾だったと見られないだろうか。ハーバート・ストーン二等航海士が正しかったのかもしれない。

タイタニック号生還者の証言を詳しく見てみる。

(米査問会)
三等航海士ピットマン:1ダースほどの照明弾が打ち上げられました。
スミス上院議員:どんな様子でしたか?
ピットマン:発射装置(rail)から打ち上げられます。打ち上がると軌道を描き、空中で爆発し、星(stars)[訳註:照明剤]を空へばらまきます。
スミス:1ダースほど見たのですね。
ピットマン:1ダース、あるいはもっと多くでした。


(英査問会)
査問委員:救命ボートが出発する前に、ブリッジから照明弾が発射されていると気づきましたか?
見張員ジョージ・シモンズ[訳註:George Symons。1号ボートで生還]:はい。照明弾は複数同時に、毎分打ち上げられました。その間、船首左舷側5〜10マイル辺りに船の光が見えたので、両舷のモールス灯も使っていました。

シモンズの複数同時に打ち上げられたという証言は、発射場所が複数あったことを示す。ピットマンやボックスホールが証言するように[訳注:ピットマンの証言はどれが該当するか不明]、発射場所は左右両舷側にありどちらからも打ち上げることはできた。

操舵手のロウとブライトの2人それぞれが、ボックスホールの指示により打ち上げていたと想像できる。

左舷と右舷の両方で打ち上げられた光を見たという証言がある。五等航海士ロウは、自身の近くでの爆発を「鼓膜が破れるところだった」と話している。

シモンズは左右両舷から照明弾が打ち上げられたと話す。打ち上げを行った本人達以外の、打ち上げに関する証言はほかにもある。

シモンズは「毎分」打ち上げられたと証言する一方、ボックスホールは「5分ごと」と話す。この違いについては、本船のどこかで打ち上げられたのは「複数同時に毎分」であり、ボックスホールが打ち上げたのは「5分ごと」と解釈できるだろう。

左右両舷から打ち上げが行われたことは、二等乗客担当のチーフスチュワード、ジョン・ハーディ[訳注:John Hardy。D号ボートで生還]の証言からも説明できる。

(米査問会)
ハーディ:船長は照明弾打ち上げのため操舵手を呼びました。


操舵手とはロウまたはブライトのこと。ボックスホールは証言に登場しない。船長はその場にいた操舵手に呼びかけたもので、左舷での出来事と見られる。

ところで、ライトラーは、8発の照明弾が右舷側から打ち上げられたと証言する。

(英査問会)
ライトラー:8発の照明弾が、5〜6分の間隔で打ち上げられました(ボックスホールの証言と共通する)。
査問委員:1発ずつ?
ライトラー:はい。私が知る限り、全て右舷側から発射されました。


左右両舷でそれぞれ発射していたと見られる証拠がある。

左舷側での証言。

(米査問会)
バートン上院議員:正体不明の船の光を、最初に見たのはいつでしたか?
ロウ:私がブリッジから照明弾を発射した時です。左舷側にあるモールス灯で気づかせようとしました。


右舷側での証言。

(英査問会)
ボックスホール:右舷の緊急用ボート[訳註:1号ボート]が既に降ろされた後で、折畳み式ボートが準備されているところに、私は居合わせました。緊急用ボートのすぐ近くに照明弾発射装置があったのです。私は照明弾を打ち上げるたびに、人々を遠ざけなければなりませんでした。最後の1〜2発を打ち上げていた時、甲板上にある折畳み式ボートが準備されていました。


ボックスホールはずっと1人で打ち上げを行っていたことが分かる。即ちロウとブライトは左舷側にいた。

ボックスホール1人で打ち上げを行っていたのだから、打ち上げに3人は必要ない。ボックスホールの「(打ち上げた照明弾は)半ダースから1ダースくらい」という英国査問会での証言は、1人で打ち上げた数を指しているのだ。

ボックスホールは1人での打ち上げ作業に忙しかったが、思わぬ助けを得ることとなる。

(英査問会)
ボックスホール:照明弾打ち上げ中に、救命ボートが降ろされたことは知っていました。私がブリッジに入ると電話が鳴ったのです。電話の相手が言うには、救命ボートが降ろされているが何事かという問合せだったので、まだ事故を知らなかったのかとむしろ私が驚きました。


電話の相手は操舵手ロウ。ボックスホールが打ち上げを始めた後で、[訳註:船尾ブリッジから]電話を掛けてきた。

(米査問会)
ロウ:私は、救命ボートが降りていることを知っているかとブリッジへ電話を掛けました。三等航海士かと尋ねられたので、“いいえ操舵手です”と答えたところ、照明弾の発射装置をブリッジへ持ってくるよう指示されました。


つまりボックスホールは今打ち上げている照明弾と発射装置に加え、更に必要としていた。

照明弾はブリッジおよび遥か船尾付近のロッカーに保管されていた、とロウは証言する。[訳注:ダニエル・アレン・バトラー『不沈』によれば、ロウは「船尾楼甲板のロッカーから持って」(『不沈』大地舜訳、実業之日本社、1998、p.168)きた]

(米査問会)
バートン上院議員:船尾に発射装置と照明弾が保管されていましたか?
ロウ:例えば信号弾、緑や青の…。
バートン上院議員:船首にも?
ロウ:はい。ブリッジにありました。


保管場所は2ヵ所。またブライトの次の証言から、ブリッジには照明弾が3箱集められたことが分かる。

(米査問会)
ブライト:私は12時にロウと交代するため船尾ブリッジへ行きました。何をすべきか分からずブリッジへ電話を掛けたところ、照明弾発射装置を持ってくるよう指示を受けたのです。それで私達は1箱ずつの照明弾をブリッジへ運びました。


(米査問会)
ロウ:私は照明弾をブリッジへ持っていき、四等航海士へ渡して、打ち上げを手伝いました。


ブライトは、誰が照明弾を打ち上げたのか尋ねられ、「ロウと私と、四等航海士のボックスホール氏(Rowe and I, and Mr. Boxhall, the fourth officer.)」と答えている。

この答えは、発射が“ロウとブライト”と“ボックスホール”の二手に分かれていたことを示す。そして、ボックスホールが1人で人を遠ざけつつ打ち上げを行っていたことは、ブライトの次の証言と合致する。即ち、“あなたは”何発を打ち上げたか尋ねられ「6発だと思います」とブライトは答えた。

ブライトの言う「6発」は、自らが打ち上げた数だろう。カリフォルニアン号からは8発が目撃されているのだから、ほかにも打ち上げられた照明弾はある。そして、船尾ブリッジから照明弾を持ってくる前にボックスホールが打ち上げた数は含まれていない。

ここで、ボックスホールは今まで1人で打ち上げを行っていたが、今や3人の人手と、照明弾3箱と、ブリッジの両端に計2ヵ所の発射装置を使えるようになった。

ブライトの証言は「6発だと思います」というシンプルなものだったが、経緯を考えると「全部で8発の照明弾が打ち上げられた」という結論は事実であるか怪しく思えてくる。

打ち上げの時刻と間隔

打ち上げ数について、目撃証言の違いを見ていく。

仮に、ボックスホール1人が5分間隔で8発の照明弾を打ち上げたとしたら、40分で打ち上げが終わる。では打ち上げた本人はどう証言しているか。

(英査問会)
査問委員:あなたも打ち上げを行いましたか?
ロウ:はい。
査問委員:打ち上げを始めてから終わるまでどれくらいの時間でしたか?
ロウ:大体、0時45分から1時25分まで。
査問委員:その通り、あなたは米国の査問会でも1時25分頃まで打ち上げの補助をしていたと答えていたそうです。正確ですか?
ロウ:はい。


しかしロウがブリッジへ駆けつける前に、ボックスホールが打ち上げを行っていた。ボックスホールは、1時45分まで打ち上げを行っていたと証言している。ロウの時計が20分遅らせた状態だったとすれば、打ち上げは1時45分まで行われたこととなり話が合う。
[訳註:船内時刻は、毎夜20〜24時の間に20分遅れる]

左右両舷それぞれから40分間打ち上げが続いていた。複数同時に打ち上げられたというシモンズの証言にも一致する。ボックスホールは、ロウが船尾ブリッジから電話を掛けてくる前から打ち上げを始めていたと述べている。

それで、全部で8発ということはないだろう。全部で8発だとしたら、船尾ブリッジからブライトとロウが持ってきた照明弾2箱には、それぞれ2〜3発しか入っていなかったという計算になってしまう。[訳注:ダニエル・アレン・バトラー『不沈』によれば「一二本の信号弾が入った箱」(『不沈』大地舜訳、実業之日本社、1998、p.168)]

左右両舷に発射装置と照明弾の箱があるのだから、実際はずっと多数の照明弾が打ち上げられたはずだ。ブライトの証言「6発」とボックスホールの証言「1ダース」を合わせ、18発が打ち上げられたのではないか。

スチュワードのアルフレッド・クロフォードも「1ダースほどか、多分それ以上」と証言する。

(英査問会)
査問委員:あなたが乗ったボートが海面へ降ろされてから[訳註:8号ボート。降ろされたのは1:00頃]、打ち上げられた照明弾を見ましたか?
クロフォード:はい。モールス灯が使われているのも見えました(シモンズの証言とも合致)。
査問委員:照明弾を何発見ましたか?
クロフォード:1ダースほどか、多分それ以上が打ち上げられたのを見ました。
査問委員:1ダースが?
クロフォード:はい。打ち上げ続けられていました。
査問委員:はっきりと見えましたか?
クロフォード:はい。

(米査問会)
スミス上院議員:照明弾を見ましたか?
クロフォード:見ました。大量の(plenty)照明弾が打ち上げられていました(8発を「大量の」とは言わないだろう)。


だが、カリフォルニアン号からは8発しか目撃されていない。

ここまで、ボックスホールが打ち上げを始めた時刻を考察していない。だが、船尾ブリッジにいるロウからの電話が鳴るまでずっと打ち上げに忙しかったと考えられる。

ボックスホールは、左舷側に見えた正体不明の船に気づかせるためにひたすら照明弾を打ち上げていたと思われる。

(米査問会)
ボックスホール:私は、正体不明の船の光を見る前から打ち上げを行っていました。その後で、船は近づいてきました。


ロウとブライトがブリッジへ来る前から打ち上げが行われていたことを示す。ボックスホールが正体不明の船の光を見てからも、すぐに打ち上げを行った。

尤も、タイタニック号が沈み始めた直後、正体不明の船の存在が分かる前から、打ち上げは行われていた。

(英査問会)
ボックスホール:光が見えましたが、何の光かは分かりませんでした。眼鏡を使い、2つのマスト灯だと分かりましたが、その船は私達からは遠すぎました。
査問委員:どれくらい離れていたか分かりましたか?
ボックスホール:分かりません。ですが、照明弾を打ち上げていることと、光が見えたことは船長へ報告しました。船長からは打ち上げを続けるよう言われました。私はその光を見続けつつ打ち上げも続けました。


打ち上げを始めたのは何時頃だろうか。

ロウは、自身がブリッジに到着する頃には正体不明の船が近づいてきていたと証言する。

(米査問会)
バートン上院議員:正体不明の船を最初に見たのはいつですか?
ロウ:ブリッジで照明弾を打ち上げた時です。気づいてもらうため左舷のモールス灯を使いました。


ロウによれば、モールス灯が見えるくらいには近くにいたことになる。しかしボックスホールは米査問会にて「正体不明の船の光を見る前から打ち上げを行っていました。その後で、その船が近づいてきました」と証言している。

ではロウがブリッジに来る前に、ボックスホールは何発を打ち上げたか。

(米査問会)
フレッチャー上院議員:近くに正体不明の船の光が見えたそうですが、それは氷山に衝突した頃の時間帯ですか?
ボックスホール:それよりやや後です。
フレッチャー上院議員:衝突後どれくらい後?
ボックスホール:分かりません。救命ボートを下ろす指示が出てすぐでした。


救命ボートが降ろされた後でも、人が乗り込んだ後でもなく、準備を始めている頃だった[訳註:救命ボート準備の指示が出たのは0:05]。つまりボックスホールは、救命ボートが降ろされるより前から照明弾を打ち上げていたわけであり、ロウとブライトがブリッジに来たのは、海面へ降ろされたボートを初めて見た後[訳註:最初の救命ボート7号が降ろされたのは0:45]である。

見張員シモンズの証言もこれを裏付ける。

(英査問会)
シモンズ:私がボート甲板に着いてすぐ、とても頻繁に(at very frequent intervals)照明弾が打ち上げられモールス灯も使われていました。0時30分頃、船首左舷側5〜6マイルに光が見えました。鱈漁船の光でしょう。


シモンズがボート甲板に来たのは0時過ぎと思われる。来る途中で、0時を示す見張り台の鐘の音(8回鳴らす)を聞いていたからだ。

では、シモンズの「ボート甲板に着いて“すぐ”照明弾が打ち上げられた」と、ボックスホールの「救命ボートを下ろす指示が出て“すぐ”正体不明の船を見つけた」の、“すぐ”とはどれくらいの時間か。

時刻を分単位で調べても意味はない。むしろ、ロウとブライトが船尾側から2箱の照明弾を持ってくる前にボックスホールが打ち上げを始めていたことが重要だ。シモンズの証言通り「とても頻繁に打ち上げられた」のならば、3人の合計で8発とは少なすぎる。

ロウは、自身で打ち上げを行っていた時間を40分と証言。ブライトもほぼ同じく30分と証言した。これは推測だが、開始と終了の時刻を答えたに過ぎない[訳註:40分間または30分間ずっと、打ち上げが等間隔だったわけではないとの趣旨]。

一方シモンズは打ち上げ間隔について「とても頻繁に打ち上げられた」と話す。“頻繁”を5分間隔と仮定しても、ボックスホールに指示された2人が打ち上げたのは、40分で8発、または30分で6発。2人が到着する前に、ボックスホールは「半ダースから1ダースくらい」打ち上げた。

(米査問会)
ロウ:折畳み式ボートC号が準備されているとき、ワイルド航海士長が漕ぎ手が必要だと言いました。船長に、私は照明弾打ち上げを続けるべきか尋ねたところ、もういいからC号ボートへ乗るようにと命じられました。


見張員レジナルド・リーは1時40分頃13号ボートで本船を離れた。ボックスホールの2号ボートが離れる5分ほど前だ。リーの次の証言によれば、ボックスホールが2号ボートに乗った後も(ロウによって?)打ち上げが行われていたようだ。

(英査問会)
査問委員:打ち上げられた照明弾を見ましたか?
リー:はい。
査問委員:本船から離れる前に?
リー:離れる前と離れた後です。


まずボックスホールが1人で、その後ロウとブライトが加わり3人で、打ち上げを行ったことが分かった。多くの生存者が1ダースかそれ以上の照明弾を目撃している。ブライトの「6発」という証言は、左舷側のみの数と考えれば目撃証言とも整合し理に適っている。右舷側からは「8発」と考えられ、合計14発だ。

カリフォルニアン号から目撃された照明弾は8発だ。遠くて見落としがあったからか。

カリフォルニアン号の件は読者の考えに任せる。ただしマージー卿の「全部で8発が打ち上げられた」という結論は誤りであり、いくつもの反証が見付かっている。
----(以上和訳文)----

冒頭に書いたとおり、この記事についての考証は別記事にて。
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2021年04月10日

2021年04月09日

フィリップス通信士による絵はがき、オークション出品

引用。
----

タイタニックの無線通信士が書いた絵はがき、160万円で落札も(CNN.co.jp)
2021.04.09

英豪華客船「タイタニック」の乗員によって沈没のわずか3週間前に書かれた絵はがきが競売にかけられている。落札額は1万5000ドル(約160万円)に上る可能性がある。
(画像は引用元から)

タイタニックの上級無線通信士ジャック・フィリップスさんは1912年3月、同船の建造が行われたアイルランド・ベルファストの港から、姉妹のエルシーさん宛てにこの絵はがきを書いた。タイタニックは3月末に完工、4月2日にドックを離れた。

手紙は縦約9センチ、横14センチの絵はがきに書かれ、建造中のタイタニックの姿をあしらっている。消印はベルファストのもの。

はがきには「すごく忙しくて遅くまで働いていた」「月曜にここを離れ、水曜にはソトン(サウサンプトン)に到着したい。どうかお元気で」などの文言が書かれ、「ジャックより、愛を込めて」との言葉で結ばれている。

競売を手掛ける米ボストンの企業、RRオークションのボビー・リビングストン執行副社長は「フィリップスは自分の乗る船を描いた絵はがきを選ぶことが多かった」と語る。

「我々の調査によると、エルシーが保管していた絵はがき300枚のうち、タイタニック関連のものは5枚のみ。絵はがきの表に船体をあしらっているのは2枚だけで、極めて希少な例といえる」(リビングストン氏)

リビングストン氏によると、フィリップスさんは忘れられた英雄で、沈み始めたタイタニックから多くの命を救った。乗客乗員の救出を支援してもらおうと、他の船に休みなくメッセージを送信した。

タイタニックは1912年4月14日夜、北大西洋を航行中に氷山に衝突、乗客乗員1500人以上が死亡した。RRオークションによると、当時25歳のフィリップスさんは脚まで浸水した船を捨て、ひっくり返った救命ボートの上にたどり着いたものの、厳しい寒さにさらされ亡くなった。

フィリップスさんの絵はがきの競売は今月14日に締め切られる予定。RRオークションによると、落札額は1万5000ドルに達するとみられている。

タイタニックゆかりの品が売りに出されるのは初めてではない。2015年には、同船のファーストクラスの昼食メニュー表が8万8000ドルで落札された。この時は、他の人を助けないで船から遠ざかるよう、救命ボートの船員に賄賂を贈ったとされる男性の手紙も7500ドルで落札されている。
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2021年04月07日

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2021年04月03日

烟景の霞

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2021年03月24日

「ワンダと巨像」巨像名称対比

ゲーム「ワンダと巨像」に登場する巨像に付けられた、公式・非公式の名前一覧。

画像に添えた3つの名前はそれぞれ、
[1] 公式の名前。
[2] fan name。ファンによるラテン語由来の名前。出典はThe Team Ico Wiki
[3] Developer Nickname。開発チームによる仮の名前。出典は『ワンダと巨像 公式攻略&設定本 古えの地綺譚』(ファミ通書籍編集部、2006)およびThe Team Ico Wiki。
 ※画像は「The Team Ico Wiki」から。

↓第1の巨像 / Valus / ミノタウロスA

↓第2の巨像 / Quadratus / マンモス

↓第3の巨像 / Gaius / 騎士

↓第4の巨像 / Phaedra / 麒麟

↓第5の巨像 / Avion / 鷹

↓第6の巨像 / Barba / ミノタウロスB

↓第7の巨像 / Hydrus / ウナギ

↓第8の巨像 / Kuromori / ヤモリ

↓第9の巨像 / Basaran / 亀

↓第10の巨像 / Dirge / ナーガ(インド神話に登場する蛇)

↓第11の巨像 / Celosia / ライオン

↓第12の巨像 / Pelagia / ポセイドン

↓第13の巨像 / Phalanx / 蛇

↓第14の巨像 / Cenobia / ケルベロス

↓第15の巨像 / Argus / ミノタウロスC

↓第16の巨像 / Malus / 人型(英語ではEvis。意味は不詳)
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2021年03月20日

G.T.R.4

少女終末旅行オンリー即売会イベント「しゅーおん!」('20.03.21)から1年を機に、新刊に書き下ろし収録したG.T.R.4を公開します。
私設参加レポート
・同新刊および他の二次創作同人誌通販ページ
・シリーズまとめはPixivに掲載します。エアコミケ(第1および2回)に合わせて公開したG.T.R.5〜6も近くPixivへ掲載予定。

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2021年03月15日

デジタルリマスター「In Nacht und Eis」

 映画「In Nacht und Eis」がデジタルリマスター且つ英訳されていたので引用する。

 「In Nacht und Eis」は、タイタニック号沈没事故から約3ヵ月後の1912年7月6日にドイツで公開された、同沈没事故を描いた2番目に古い映画作品。英語で「In Night and Ice」、日本語で「夜と氷の中で」の意。約35分。2019年時点で、DVDなどの媒体は市販されていない。

 この映画は、8mの船の模型を使って湖で撮影されたとされる。なお1998年頃、日本のTBS系TV番組『世界に眠る幻の未公開マル秘映像大発掘スペシャル』でこの映画が紹介され、「作中には実際のタイタニック号が登場する」と言われた。しかし明らかに別の船。実際のタイタニック号を写した“動画”は、1912年2月に(ビクトリア海峡のDeep Water Jettyにて?)撮影された40秒ほどの映像しか残っていないそうだ。この時点では、煙突塗装とA甲板一等遊歩道の窓縮小工事を終えていない。

 ところで、沈没事故を題材とした最も古い映画は「Saved From The Titanic」という10分間のイギリス映画。沈没から1ヵ月後に公開された。事故生存者が出演した唯一の映画でもある。こちらの映画はフィルムが焼失し、現存していない。
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2021年03月13日

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2021年03月10日

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2021年03月08日

TITANIC: Adventure Out Of Time、8種のエンディングほか

PCゲーム「TITANIC: Adventure Out Of Time」について覚書き。




PCゲーム「TITANIC: Adventure Out Of Time」。1996年1月米国と英国で発売。CD-ROM2枚組。日本語版の発売は1999年11月? CyberFlix制作(なお同社は、1998年にゲーム制作事業を終了、2006年に廃業)。
2018年4月にSTEAMでの配信が始まった(日本語には非対応)。画像はSTEAMから。




PCゲームに関するイギリスの月刊誌「PCGAMER」Webサイトに載った、同ゲームに関する記事。
How perfect timing turned Titanic: Adventure Out of Time into a '90s FMV smash hit(2021年2月16日)

1997年の有名映画「タイタニック」の直前に完成し、運良く同映画の流行に乗れた旨が紹介されている。
※画像は1999年の日本語版パッケージ。PCGAMERから。

他にも、
・制作会社CyberFlixは近所のテネシー大学卒業生で構成された小さな会社で、きちんとした事務所もサーバーもなかった。ゲームがここまでの流行になると予想していなかった。
・ジェームズ・キャメロンの映画が制作中であることを知らなかった。ハリウッドの弁護士に注目されてしまったが、ストーリーは全く異なり、著作権侵害を指摘されることはなかった。
・登場人物は、衣装も含めて地元の劇団グループのメンバー。顔の画像をアニメーション化した。制作者から見ても不気味だった
※画像はゲーム画面。PCGAMERから。
・ゲーム制作における成功は続かず、1998年ゲーム事業を中止。進行中のゲームが2点あり発売されることはなかった。
…といった話が紹介されている。




このゲームには8種類のマルチエンディングが存在する。発生条件はそれぞれ次の通り。
1.死亡。
 − 条件:プレイヤーが本船脱出に失敗。
2.歴史は変わらず。
 − 条件:ブラッドがルバイヤートand/orネックレス取得。プレイヤーが絵もノートも未取得。
3.ソヴィエトが戦勝#1。
 − 条件:ブラッドがルバイヤートand/orネックレス取得。プレイヤーが絵を取得、ノートを未取得。
4.ソヴィエトが戦勝#2。
 − 条件:ブラッドがルバイヤートもネックレスも未取得。プレイヤーが絵を取得、ノートを未取得。
5.共産化ドイツが戦勝。
 − 条件:ブラッドがルバイヤートand/orネックレス取得。プレイヤーが絵とノート取得。
6.ナチス・ドイツが戦勝。
 − 条件:プレイヤーが絵を未取得、ノートを取得。
7.ナチス・ドイツが核開発し戦勝。
 − 条件:ブラッドがルバイヤートもネックレスも未取得。プレイヤーが絵もノートも未取得。
8.ミッション成功(グッドエンド)。
 − 条件:ブラッドがルバイヤートもネックレスも未取得。プレイヤーが絵とノート取得。
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2021年03月06日

午睡の

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2021年03月03日

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2021年03月01日

雑ツイート集。

戦隊ヒーロー番組、超電子バイオマン(1984)は、女性を2人含む初の編成だという。当初、男児向け作品に女性主人公は馴染まないとする意見があったが、
「2人だと女の子同士の会話というドラマ造りができる」
「一転して「女性5人でもいいのでは」という意見まで出た」(Wikipediaから)。
…ちょろいな。

床の間の掛け軸の代わりにモナリザ。

生理合同誌や痔合同誌や腹痛合同誌は聞いたことがあるが実際に入手したことがあるのは嘔吐合同誌のみ。

「今日の都内感染者数は最多60名」の頃からマスコミに踊らされるように外出は嫌だと大騒ぎしていた奴が、今では何も言わず普通に通勤している。スタートダッシュで既に力が尽きたか、または黒歴史を恥じているのか。

Pixivに「目イキング」という駄洒落タイトルが多すぎる。

職場に飲みかけのペットボトルを置き忘れたまま帰ってきてしまった仕事納め。

政府の提言は、1/11まで「休業しよう」ではなく「交代制勤務としよう」が妥当らしいが、取引先会社が事実として11日まで休業と決めたそうで誤解を貫いたその姿勢を羨む。

新型コロナだなんて安直な俗称で呼ぶものだから「更に新型の」種が出現したらどんな呼称が使われるのか滑稽だと思っていたら、普通に変異種という通称が定着しつつある。

男性にリード付け「犬の散歩」 外出禁止回避試みた女性に罰金、カナダ(2021.1.12 AFPBB News)
(引用) カナダ・ケベック(Quebec)州で、犬ではなく人間の男性にリードを付けて散歩することで、新型コロナウイルス対策の夜間外出禁止令を免れようとした女性が、罰金を科された。

布教を目的としてホテルの部屋に聖書を置くことは20世紀初頭の米国発祥らしく、その後キリスト教圏に広まった。ところでイランの観光客向けホテルの部屋にコーラン(HOLY QURAN)があった。教典を置く布教が今や風習として、他国は元より他宗教圏へも応用された一例かと。

電子取引システムの説明書を読んでいる。「マウスの使い方」のページがある一方で、RSSフィードの解説はなくcsvとtsvとxmlの違いを万人が知っている前提で話が進むムラのある構成。


去年は子年つながりでヌートリア肉料理を供していた店が、今年の正月は丑年つながりで「6種類の牛肉食べ比べ」企画を行っていたらしい。

Pixivで見覚えある絵柄を見かけた。11年前に何度もお話ししたことのある絵描きさんの作品だ。まだ活動していたのか。懐かしい。ホーム画面を見た。Twitterリンクへ飛んだ。ブロックされてた。

マウスのドラッグを知らない人へ電話越しにそれを説明するミッションを達成した。「左ボタンを押したままで引きずってくる」という言い回しは意外にも伝わらなかった。画面上のアイコンに物理的な重さはないが、マウスボタンを押す重みをして「引きずる」という表現が妥当と思ったのに。

(再掲)郵送でもらったラヴレターが料金不足だった、という話を聞いた。さりげなく自慢をするな。私だってもらったことあるぞ。料金不足の郵便くらい。

幼少の頃、コスモ星丸とバボちゃんを同一人物だと思っていた。

店頭のマネキン人形が、紐でつないだマネキンの豚を連れている。豚?

吐ロフィー。

「う」の変換候補1番目がなぜか「ウガンダ」。

農具がとても充実しているゲームといえばPS3「SIREN:NT」。

「アニメ主題歌のフル音源を無許可でYoutubeへ載せるのは違法。だが音楽に、自ら描いた二次創作絵を背景として付け映像へ加工すれば公開して良い」とする風潮は何だろう。加工すれば(投稿者の)創作に当たるとでも思われているのか、または実態として削除されにくいのか。

(以下人名は全て仮名)大学時代の女性講師田中先生。婚姻し戸籍上は「清水」姓だが旧姓使用していた。
その先生、長男を出産し「清」と名付けた。即ち長男の戸籍名は、清水清。曰く、私の旧姓は田中であり常に旧姓使用するので、わざわざ夫の姓と組合せて回文になると反対される謂われはないとの主張。

子は「自分の子」であると同時に「夫の子」でもある視点が抜けている所や、尋ねられもしないのに個人情報を声高に明かす態度に疑問を感じる。ただし多分家庭環境が複雑だろうと伺えるので深入りすべきでないかと。

大学時代、自らの手のひらをカッターナイフで浅く傷付ける女子学生がいた。本人曰く、手相の生命線が短いので刻んで延長しているそうだ。本気か、自傷行為の取り繕いかは不明。

オンラインでオフ会をするという言い回しが普通に通じる。
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2021年02月24日

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2021年02月22日

二等ダイニングの椅子も回転式と見られる件ほか覚書き

Titanic: Honor & GloryのTwitter投稿につき覚書き。
1.
“水平式”防水扉。防水扉はブリッジからの遠隔操作で閉扉できると広く知られているが、それは内部船底甲板にある“垂直式”扉のみ。その上階以上の扉は各所で手動操作にて開閉した。画像はE甲板左舷K隔壁を船首側から見たところ。画像奥がL隔壁。

2.
二等客室区画階段室。D〜E甲板間の踊り場。2か所あるうち後方の、エレベーターが無い方の階段室。画像奥が船首側で、扉の向こうが二等ダイニング。

3.
三等ダイニングの椅子は、「船長の椅子」という俗称がある。当時の他の客船の三等ダイニングと比べて豪華な作りだったことを指しての呼称らしい。
その形状は「四本脚で、床に固定された回転式」の椅子だった(四本脚で座面が回転する椅子は現代では珍しい?)。
二等ダイニングの椅子については知らなかったが、画像では椅子は一本脚。同じく床固定の回転式であろう。

4.
一等客室B甲板52号室プライベートデッキ。船首大階段とB52号室内から通じる(B54・B56号室からの出入口は無い)。ハーフティンバー様式(主に15〜17世紀北欧の建築様式。柱や梁が壁面上に見える)を模している。
誰がこの部屋を使ったか乗船名簿に残っていないとも言われる(典拠不明)が、イズメイ会長が使ったと事故後の米国査問会で自ら述べている。

5.
A甲板一等喫煙室の、ヴェランダカフェ&パームコートへつながる回転ドア。喫煙室とカフェは左右対称の造りだが、回転ドアは左舷側にしかない。
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2021年02月20日

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